『うりこ姫とクリスマス会 』

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 晴天の霹靂とは、このことか。
 十二月のまさに晴れた月曜日。
 私は曜ちゃんと並んで、琴ちゃんの幼稚園のクリスマス会を観ようとしていた。 
 
 
 ことの始まりは、一週間前だ。
 うちのパン屋に、曜ちゃんのお母さんが来た。
 曜ちゃんの家とうちの店は、歩くと七、八分はかかる。
 さらに、小学校の学区域が別だったため、兄と曜ちゃんも高校に入るまで互いの存在を知らなかったのだ。
 反対に、曜ちゃんのお母さんは、主婦力とママチャリを駆使して近所中を駆け回っていたので、うちのパン屋も当然知っていた。
 ひとり息子が高校に入学して、そのクラスメイトに近所のパン屋の息子がいると知り、大興奮したらしい。
 曜ちゃんのお母さんは、山口 良子(よしこ)さんという。
 背が低くて、ころんとした体形で、話しやすくて、人当たりが良い。
 きっと、曜ちゃんは、性格だけじゃなくて容姿も、お父さん似なのだろう。

「由梨子ちゃん、今度の月曜日は定休日よね。お暇かしら?」
「琴ちゃんの送り迎えですか? いいですよ。お祖母さんの具合、良くないんですか?」
「高齢だから仕方ないのよね。で、月曜だけど、その日に母の病院での検査が入ってしまったの。今度という今度は、ほんと、しくじったわ」
 このところ、曜ちゃんのお祖母さんの具合は悪かった。
 良子さんは、ご近所のおばさま方にも孫育てを応援してもらっているようだけれど、 それでも、どうにもならない日には、こうして私に依頼があるのだ。
「幼稚園にお迎えに行ったあとは、そのまま預かればいいですか?」
「実は、その日、幼稚園のクリスマス会なの。由梨子ちゃん、本当に申し訳ないんだけど、ビデオ撮影をお願いできるかしら」
 

 仕事を終えた兄が夕飯をとってる。一足先にあがった父は、ビール片手にテレビの歌謡ショーで、サユリちゃんを聞いていた。
 兄が、なんとも言えない表情で私を見ている。
「……由梨子、なにやってんだ」
「撮影の練習。お兄ちゃんはカメラを気にせずに、そのままべったら漬けを食べていてください」  
 ビデオは、一度家に戻った良子さんから渡された。私はXディに向けて、さっそく練習を始めていたのである。
 しかし、なんだろう。この気の乗らなさは。被写体が悪いのか。
「どうせなら店の紹介ビデオを撮れよ。俺様が生地を丸めるところとか、俺様が、焼き上げたバゲットを店に運ぶところとかさ」
「いいアイデアだね。お兄ちゃんが、べったら漬けを食べるシーンを撮るよりも建設的だし、撮影意欲がわきそう」
「俺を撮るなら横顔ね。この間取材に来た、地元のタウン誌のおねーちゃんも、そう言っていただろう? 『イケメンさんですね』って。『横顔がいいですね』って」
「でも、記事では、『イケメンパン職人』の名称が与えられたのは、隣の駅のパン屋さんだったね」
 兄には少し気の毒だったけど、あのタウン誌のおかげで、うちのお客様は増えたのだ。
「しかし、ビデオなんてさ、子どもがいないと買わないよな」
「そうだよね。撮影も、携帯でサクサクできちゃうからね」
「曜って、父親なんだな」
 しみじみと、兄が言う。
「曜も気の毒だな。仕事、忙しいんだな。このところ、店にも来てないしな」
「半月以上は来てないね。このあいだ、曜ちゃんのお母さんがお昼前に来て、大量にパンを買ってくれたの。おじさんと曜ちゃんへの差し入れだって」
「そうか。仕事は大事だからな。……まぁ、琴ちゃん、かわいそうだけど、その分由梨子が賑やかにしないとな。何なら俺も行こうか」
「やだ。お兄ちゃん、絶対に寝るでしょう。いびきもかくもん。琴ちゃんのクリスマス会のBGMがお兄ちゃんのいびきだったら、曜ちゃんに殺されるよ」
 兄のいびきは半端ないのだ。兄が結婚するときには、私はお嫁さんになる人に耳栓をプレゼントしたいと思っている。

 翌日、お風呂から出てきたところで、電話があった。良子さんからだ。
 なんでも、琴ちゃんがクリスマス会に出ないと、言いだしたそうだ。
 曜ちゃんもまだ帰って来ないので困っている。なんとか説得してくれないかと、頼んできたのだ。
 そんな大役は自信がないので、断ろうとしたのに、電話口には、ぐずぐず声の琴ちゃんが出てきた。私は覚悟を決めた。
「琴ちゃん、どうしたの? クリスマス会に出たくないの? 私は、さみしいな。琴ちゃんを撮ろうと、一生懸命にビデオの練習をしていたのにな」
「パパもばぁばも来ないの。だから、琴も出ない」
「そっか。誰も来てくれないと、さみしいよね。私もそうだったな。私の家はパン屋さんでしょう。休みなんてほどんどないから、学芸会も運動会もろくに観に来てもらえなかったよ」
「うりこちゃんもひとりだったの?」
「それがね、私は覚えていないんだけど、お兄ちゃんが来てくれたみたい」
 写真でしか残っていないけれど、保育園のお遊戯会に兄が来てくれたのだ。もっとも、兄もそこの卒園生だったから、来やすかったのだろう。
 そこで、はたと思い出す。
「琴ちゃんのパパね、私の合唱コンクールに来たわ」
 中学二年生のとき、近くのホールで行われた合唱コンクールに兄に連れられて曜ちゃんも来たのだ。
 あれは、黒歴史だった。
 私は、指揮者だった。くじ引きで負けたのだ。
 はなから、優勝を狙うようなレベルのクラスではなかったけれど、だからといって、手抜きできるほどの度胸もなく。
 私は、毎日腕が痛くなるほど練習したのだ。それでも、途中でアクシデントが起きて、私はわけがわからなくなってしまった。
 曜ちゃんは、どうぜ覚えていないだろうけど。
「パパは、うりこちゃんのパパじゃないのに来たの?」
「そうだよ。琴ちゃんのパパとうちのお兄ちゃんが仲良しだから、来てくれたんだよ」
「パパとか、ばぁばじゃない人が来てもいいの?」
「仲良しさんなら、誰が来てもいいんだよ」
「琴はうりこちゃんと仲良しさんだよ」
「そうだね。だから、私が行くんだよ。琴ちゃんが大好きだから行くんだよ」
「……わかった。うりこちゃん、来ていいよ。琴もクリスマス会に出るよ」

 琴ちゃんの言葉に、体中の力が抜けた。
 良子さんがしきりにお礼を言う声が、受話器から聞こえる。
 私は、なんとか切り抜けたといった思いで、ただただ頷いた。
 
 そして、クリスマス会。
 会場は、幼稚園の近くにある公民館のレクホールだ。そこに、保護者の数よりも多い折りたたみ椅子が、ところ狭しと並べられている。
 琴ちゃんの年中クラスの発表は、11時からだ。
 私は、バッテリー満タンのビデオを持参し、良子さんから聞いていた琴ちゃんが見えやすい場所を確保し、スタンドをたてた。ぬかりなし。
 私が椅子に背を預けると、隣の席に誰かが座った。
 やだな、と思った。ほかにも席はいくらでも空いているのに、なんでわざわざ隣に座るかな。
「カメラマン、調子はどう?」
 知った声に驚き、隣を見ると曜ちゃんだった。
「どうしたの? 仕事は? 忙しいって聞いたよ」
「くそ忙しい。眠る間もない。親父の仕事の取り方がおかしい。昼めし食ったら、また戻る」
 大変だねと、思いつつ。でも、曜ちゃんと並んで座って、琴ちゃんのクリスマス会を観るこの状況は、その「仕事の取り方がおかしい」おじさんのお陰なのだ。
 
 曜ちゃんが隣にいる。そう考えただけで、心臓が半端ない音を立てだした。
 アナウンスが入る。琴ちゃんのクラスは、歌と劇だ。
 ぞろぞろ子どもたちが舞台にあがる。
 琴ちゃんは、良子さんの情報通り、私と曜ちゃんの目に前に立った。
 曜ちゃんに気づいた琴ちゃんの顔に、笑顔が広がる。
 ひとりの男の子が、前に出て頭を下げた。その子の手には、手作りの色とりどりのタクトが握られていた。
「なんか、デジャブ。そういえば、由梨子が飛ばした指揮棒、あのあとどうなったの?」
 とんでもないダメージを受けながらも、琴ちゃんのかわいい姿を完璧に録画した私は、国民栄誉賞並みにえらいと思った。



   2020/10/19 サイトのお誕生日に




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