ザッハートルテの恋と秘密


 お正月に成人式。
 一月のそういった華々しいイベントが終わると、街の装いは一気に二月のバレンタインに向けてシフトする。
 かくいう我が家でも、妹の美夜(みや)が作るお菓子は、この時期の名物であり楽しみでもあった。 
 ナッツやココア味のクッキーに林檎のパイ。
 トリュフをはじめとする各種のチョコレート、そして――ザッハートルテ。
 本番のための練習ね、との名のもとに、私たち家族はその甘い恩恵に授かっていたのだった。
 
STORY1「ザッハートルテの甘さには、伝えられない恋がある」1



 わかっていた。
 ――私が誰を呼んでいたのか。




 予報通りのひときわ寒さ厳しい二月の朝だった。

 布団から出る段階で、寒がりやの私としては既に憂鬱だったが、夜のことを考えるとそれはさらに酷くなった。
 今夜は、会社の同期会だ。
 部署や取引先との飲み会が入り忘年会と新年会は後回しになってしまっていたので、ここは一つ豪華なものを開こうではないかと決まった日が、今日だった。
 幹事氏から「高住(たかすみ)、豪華といえばどんな料理を想像するか」と聞かれたので、私は迷わず「ふぐ」と答えた。

 ――ふぐ。
 山口県下関市のものが有名で、冬が一番おいしいとされる白身の魚だ。下関や北九州などでは「ふぐ」と濁らず「ふく」と呼ばれるらしい。ふぐちりやふぐ刺が有名で、特にテレビでよく見る、お箸でずずずいっとすくってポン酢でパクリは、私のやってみたいことナンバー1だ。

 今までの人生において、ふぐを食べた記憶はないのでとても楽しみにしていたが、寒いとなれば話は別だ。
 なにもこんな日の夜に開かなくてもいいじゃないの、と誰とはなしに恨めしい気持ちになる。
 とはいえ、労働には行かなくちゃいけない。
 入社して一年目のひよっこである私にとっては全ての仕事が「一巡目」なので、覚えることは多いのだ。
 そこまで考えたところで、ふと、家に残る甘い匂いに気が付き、やっぱり同期会にも行かないといけないよなぁ、と思い直した。
 
 
 気合を入れて身支度をする。
 寒がりやの本領を発揮すべくロングブーツにマフラーに手袋は勿論のこと、コートも思いっきりひざ下まであるものを着用した。
 そして美夜から渡された袋には、ザッハートルテ。
 成り行き上、今晩の同期会で振る舞うことになってしまったのだ。
 これが同期会に行かないといけないと思った理由。
 もちろん、作ったのは妹の美夜。
 いいよ、私も食べたいと思っていたからと、突然の頼みにも嫌な顔せずに作ってくれた優しく頼りになる妹サマだ。

 私の家は、会社のある都会からは少し離れていた。
 そのため、駅までの道には冬の風を遮るほどの大きな建物はなく、行きも帰りもこの身一つで北風と対峙しなくてはならなかった。
 使い捨てカイロは、すでに体をあたためてくれている品の他にも予備として鞄に入れてあった。
 本来なら美夜特製のニット帽(美夜は手先が器用なのだ)も被りたいところだけど、髪がペシャンコになってしまうので(……既にそれで一度失敗している)帰宅時のみの使用に留まっている。
 出がけに美夜は「これをすればあたたかいよ」とマスクもくれた。
 ――確かに、顔が隠れるだけでかなり違う。
 妹の優しさにうるうると感謝しつつ外に出た私は、容赦なくビューと吹く北風を154センチの体で受けた。
 見ると、まだ暗い朝の中、駅まで向かうのは私一人じゃない。
 何人ものお仕事侍の方々が、背中を丸めるように歩いている。
 そんな姿に仲間意識を感じた私は、よろよろふらふらしながらも、ザッハートルテを守りともかく前へと進んだ。

 私は三姉妹だ。
 私、高住 小春(たかすみ こはる)が長女で次が一つ下の美夜、そして一番下の青葉(あおば)はまだ高校生だ。
 三姉妹の身長は年が下がることに高くなり、青葉は168センチとモデルのような体型をしている。
 ――まぁ、いいんだけどね。

 ふぅ、とついたため息がマスクにこもる。
 あたたかい。
 調子に乗って、なんども息をはいていたら、さすがに少し苦しくなった。

 入社して一年目の若輩者でありながら私の厚着は社内の一部では有名になっているそうで、私のコート丈でその日の気温を「改めて実感する」人もいるらしい。

 うちの会社の窓は大きい。
 夏暑く冬寒くて困る、とは先輩お姉さまの言葉だが、私もその意見に全くもって賛成だ。
 しかし、それ以外の季節において言えば都会の景色が眺められるのは、なかなかにいいものだ。
 大学は都内でありながらのどかな地帯にあったので、私にとっては社会人=東京(都会)デビューだった。
 窓からは、オレンジに光る東京タワーも見えた。
 コンパスを少し広げたようなその姿の夜景を肉眼で見るのは、楽しい。
 私はまだ東京タワーに行ったことはない。
 ついでに言えば、スカイツリーにも。
 一度行ってみたいなぁ、とは思う。
 そう、少しあたたかくなったら。
 

 とはいえ、そろそろ終業となるこの時間の外の景色はというと、どうにもこうにも寒そうなのだ。
 補修のために向かいのビルを覆う布は、パタパタというよりもぶるりぶるりと大きく揺れていた。
 あれは、電動でない限り風で動いているのだろう……。
 そしてその風は、南風なんかじゃなく、北風なのだ。

 帰宅のシュミレーションをする。
 最寄駅から自宅までの道を思う。
 ここ(都会)とうち(都会から少し離れた街)の気温は、控えめに言っても一度は違うだろう。
 さらに、風速一メートルにつき、体感温度も一度さがると天気予報で聞いた覚えがある。
 ……。
 もう、今すぐにでも、家に帰りたくなってきた。
 寒いのは嫌い。
 ――嫌い。
 寒いのは体だけでなく、心も弱くするから。
 
 同期会は、ザッハートルテだけ渡してドタキャンするしかないなと思った瞬間、「まさか高住、欠席しようと思っているんじゃないよね」と心の声を読んだかのような台詞が降って来た。
 
 同期の桐谷 正宏(きりや まさひろ)。
 本日の幹事さまであらせられる。
 
「……寒そうだよ」
 ねぇ、と窓の外を見るように促すけれど、桐谷は私の言葉なんて聞きもせずに眼鏡の奥の目を細めると、「冬だからな」と言って人のことを見下ろしてきた。
 目が合う。
 たまらずその視線をふっと逸らす。

「キャンセルするなら、高住のふぐ代は置いて行け」
 ――ふぐ代!
 なんとクールなその発言。

 桐谷ってば、冬将軍みたいだ。
 冬将軍。
 我ながら、「桐谷=冬将軍」とは言い得て妙なんじゃないとほほ笑むが、そうしたところで全く生産的でないことに気付く。
 ほほ笑み損だ。

「ほら、アホなこと考えてないで、仕事終わったらとっとと店に行くからな」
 桐谷はそう言うと、さっさと自分の部署へ戻って行った。

 まさか、釘をさしに来たとか。
 だとしたら、完全に思考と行動を読まれているということになる。

 
 この冬将軍桐谷と私の付き合いは、大学時代にさかのぼる。
 彼は、私が高校の時に好きだった桐谷 幸太郎(きりや こうたろう)君の同じ年の従兄弟だった。



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