日々楽々ワイド劇場―――『猫』


  作者:鹿の子


 僕の家の隣りに住んでいたおじいさんが亡くなって、そのかわりに『何でも屋さん』が住みだした。



「こんにちは!」
「あぁ、勉(つとむ)くん。こんにちは」
 何でも屋さんは、仕事の締め切りがもうすぐとかで、ダンボールだらけの部屋の中で机に向ったまま僕に返事をした。
「こんにちは。あのさ、ちょっと聞きたいんだけどいいかなぁ。そこの塀をさ、最近猫が通ったの見なかったかなぁって思って」
 そう言いながら、僕は何でも屋さんの机の側の窓を指差す。
「……猫かい」
 そう言うと、何でも屋さんはイスごとこっちに向くと、僕の指さす窓の外を眺めた。
「猫ねぇ。いや。僕が越してきてからは、まだ猫は一度も通っていないよ」
 うん。やっぱりな、と思う。
 この部屋の窓から見える塀は、山田さんのところの猫の通り道で、そしてその塀は僕の家の先の家まで続いていた。
「実はさ、何でも屋さんの右隣りの家の山田さんちのチェリーって猫が行方不明なんだ」
 チェリーは、人懐っこくて、滅茶苦茶可愛い猫だった。
「……へぇ」
「でさ、おじさんたちがここに越してくる前日からいなくなって、今で三日、帰っていないんだ。山田さん、すごく落ち込んでてさ。ほら、あのおばあさんひとり暮しだから、チェリーが子どもみたいなもんなだよね。聞いたんだけど、おじさんって何でも屋さんなんでしょ。だったらさ、チェリーを見つけて欲しんだよね」
 僕がそう言うと、何でも屋さんは驚いたをした。
「いやぁ、何でも屋さんって、参ったな、本当に依頼が来るとはなぁ」
 そう言って何でも屋さんは頭を掻いた。
「あっ。勉くん、こんにちは」
 何でも屋さんの奥さんが部屋に入ってきた。
「ねぇ、もうすぐ、みなさんいらっしゃるけど」
 奥さんは、何でも屋さんにそう言った。
 僕に、『うちの旦那サマは、何でも屋さんよ』と教えてくれたのは、この奥さんだった。
「あっ、そうか。勉君もおいで。引っ越してきた挨拶代わりに開くお茶会なんだ」
 何でも屋さんが言う。
「え、いいの。そういえば、母さんはシフォンケーキを焼くって言ってたな」
 美味しいものがたくさんありそうだな、とわくわくしながら、僕は何でも屋さんたちと一緒に庭へと向った。

 何でも屋さんの住む家は、ずっとおじいさんがひとりで暮していた。
 そこに、おじいさんの孫の何でも屋さんが越してきたんだ。
 そして、何でも屋さんたちは、「これからよろしくお願いします」の気持をこめてお茶会を開く事にしたらしい。

 お茶会の会場である庭には、何でも屋さんの両隣(山田さんの家と僕の家)と、僕の家の隣りの佐藤さん、向いの高橋さん、斉藤さんが呼ばれていた。
 山田さんは、やっぱり少し塞ぎこんでいた。
 奥さんと何でも屋さんが、部屋からフルーツパンチの入った器を運んできた。
「こっちが大人用で、こっちがオコサマ用ね」
 大人のものは、色が赤かった。ワインで作ったそうだ。
「あら、いいわね。勉君」
 僕が自分で子ども用のパンチをガラスの器に注いでいる時に、佐藤さんが話し掛けてきた。
 確かに奥さんが作ったパンチは、細かく切った果物がオレンジジュースと混ざって、すごくおいしそうだった。
 子どもは僕だけじゃなくて、僕の妹の咲子や、咲子の友だちもちゃっかりお邪魔をしていた。
 そしてそいつらは、真っ先にパンチに駆け寄り、もうすでに庭の隅で賑やかに食べだしていた。
 佐藤さんは、紅茶を注ぎにきたようだ。
 佐藤さんの持つカップに茶色の液体が増えていく。
 山田さんと違って、佐藤さんはやけに機嫌がいい。
 テンション高いって感じ。
「あらあら、本当に、随分とたくさんの果物が入っているのね。えっと、ピーチに、グレープに、メロンに……サクランボね」
 僕の持つガラスの器を覗き込むようにして、佐藤さんが言った。
 僕も佐藤さんと一緒に自分が持つガラスの容器の中の果物の種類を数えた。
 ピーチにグレープ。
 ――ん。
 今、僕の心で、何かがひっかかたぞ。
 そう思って、佐藤さんの顔を見たら、なんだかバツの悪そうな顔をしていた。
 あれ。なんだろ。
 なんで、そんな顔をするんだ。
 佐藤さんも、なんかひっかかったのかな。
 ともかく、なんか違和感があったんだよね、今。


 お茶会中も山田さんはずっと暗くて、それをうちの母さんや他の人が慰めていた。
 それをぼんやりと僕は眺めていた。
「どうしたんだい? 勉くん」
 何でも屋さんが聞いてきた。
「うん、ちょっとね」
 パンチをずずずと飲みながら僕は言った。
 そういう僕の視線の先を追って何でも屋さんは、ふむふむと頷いた。
「なにか気になる事があるんだろう。何でも屋さんに話してごらん」
 何でも屋さんは、側にあったイスに腰掛けた。
「なんか。なぁんか、気になるんだ。佐藤さんが言った言葉が」
「言葉が、ねぇ」
「うん。今さ、佐藤さんが、僕がよそったフルーツパンチの器を覗きこみながら、どんな果物があるかなぁって言いだしたんだ」
「果物ね。ふむふむ」
「パンチには、果物がたくさん入っていたよね。それを佐藤さんが『ピーチに、グレープに、メロンに……サクランボ』って数え出して」
 僕がそう言うと、何でも屋さんは「そうかぁ」と唸った。
「えっ。もしかして、わかったの」
「うん、まぁね」
 そう言うと何でも屋さんは、あさっての方向を見て話し出した。
「僕の小学校の同級生に、西田君って男の子がいてね」
 いきなりおじさんは昔話を始めた。
「西田君が好きな女の子が園田(そのだ)さんって女の子でね。西田君は園田さんを呼ぶときに『アノ田』とか『コノ田』って言って、決して『園田』とは呼ばなかったんだよ」
「ふーん。なんで」
「うん、そうだなぁ。多分、彼女の名まえを呼ぶのが恥ずかしくて、照れてしまったんだろうね。『園田』って名まえを呼んだら、自分が彼女を好きな気持が周りにばれてしまうと思ったんだなぁ」
「へぇ」
 僕にはなんだかピンとこない話だった。
「他の人にとっては、西田君が『園田さん』って呼んだところで、西田君が園田さんを好きだなんて思わなかっただろうけど。西田君ひとりで意識して……しすぎて、呼べなかったんだろうね」
「ふーん。で、その西田って人と園田って人はどうなったの」
「うん、西田君は、五年のはじめに転校してしまってね。多分『園田さん』って呼ぶことが出来ないままだったんだろうなぁ。園田さんは、園田さんで。そんな西田君の気持には気がつかなかったみたいだったしね」
「ふーん。そうなんだ。……呼べなかったんだね、その名まえを」

 ――名まえ。
 ピーチ
 グレープ
 メロン
 サクランボ

 あぁ、そっか。
 違和感を感じたのは、それだったのか。
 ――呼べない名まえ。
 一つだけ、仲間はずれの呼び方。

「何でも屋さん。僕も分かった、と思う」
「そう」
「チェリーをどこかにやったのは、佐藤さんなんだね」
「あぁ」
「ピーチ、グレープ、メロンとくいれば、サクランボじゃなくて『チェリー』だもんね。その言葉を避けるってことは」
「あぁ。多分君の推理はあっているよ」
「……どうしよう」
「そうだね。もしかしたら、まだ間に合うかもしれないよ。いなくなったのは三日前なんだろ」
「うん。そうだね。僕……やってみるよ」


 その後僕が取った行動は、早かった。
 佐藤さんに「おばちゃん、これどこにあるか知らないかなぁ」とサクランボを指して聞いたら、そのまま泣き出してしまった。
「ごめんなさい、チェリーが可愛くて、つい」
 チェリーは佐藤さんの家にいた。
 それが、チェリー失踪事件の真相だった。





「『アノ田』、『コノ田』、『園田』」
 学校の帰りに、ふとそんな言葉が口から出た。
「あれ、勉くん。うちの旦那サマから聞いたのね」
 何でも屋さんの奥さんが、スーパーの袋を下げながらそう僕に話し掛けてきた。
 なんのことだろう、と問うと「勉くんくらいのときにね、私のことをそう呼ぶ男の子がいたんだ」と笑った。
 園田さんって、何でも屋さんの奥さんのことだったんだ。
「ちゃんと名まえを呼べっていうの。毎回しつこくて、本当に腹がたったわ」
 ――『園田さんは、園田さんで。そんな西田君の気持には気がつかなかったみたいだったしね』
 本当だ。『西田君』の気持は『園田さん』には通じてなかったんだな。
 これ、凄くない。 何でも屋さんって、まるで――。
「もしかして、何でも屋さんの仕事って探偵だったんだ」
 僕がそう言うと、奥さんはゲラゲラと笑い出した。
「探偵さんかぁ、いいねそれ。私も旦那のこと『探偵さん』って呼んじゃおう。今日この表札が出来たから付けようと思ったけど、そうなると苗字だけじゃなくて、『探偵事務所』っていう看板も必要よね」
 奥さんがそう言いながら出した木の表札には、
 ―― 『安曇 周』って書いてあった。


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