鹿の子は、彼との待ち合わせ場所に急いでいた。
昼下がりの静かな公立図書館。
大好きなアガサクリスティの書棚の前というのが約束だった。
「あら?」
そこには誰もいず、ただ一冊の本が床に落ちていた。
拾い上げると、革張りの上製の豪華本。表紙には金箔押しで
「そして誰もいなくなった」とある。
表紙をぱらりと一枚めくってみると、英語の原題が
『11人の小さなインディアン』。
おかしい。確か『10人の小さなインディアン』だったはず。
不吉な予感を抱いた鹿の子が巻末のあたりをめくってみると。
『ひとり残った○○は、ひとりっぼっちでさびしくなって、
素敵な娘と結婚した。そして、誰もいなくなった』
そこには、鹿の子の恋人の名前が書かれているではないか。
クリスティは、ふたつの結末を書いている。
ひとつは小説用で、すべての人が死に絶える結末。
そしてもうひとつは戯曲用で、登場人物が生き残る結末。
いや、そんなことはどうでもいい。
彼は、私を待ちながらこの本をめくって、本の世界に入ってしまった。
そして、誰か素敵な娘と結婚してしまう。
どうしたらいいの。鹿の子は考えた。
「あら?」
閉館時間、職員が一冊の本が床に落ちているのに気づく。
取り上げてページをめくると、そこには、こう書かれてあった。
『12人の小さなインディアン』。