階段下プリンセス

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膝小僧プリンセスの登場人物の名前は出てきますが、この物語単体としてお読みになることができます。


 私にとって馴染みがあるとはいえないこの街のこのカフェは、雑誌ではお馴染みの一店だった。
 ここであの探偵ドラマのロケがあったとか、はたまた雑誌の人気モデルさんがプライベートで来たとかなんとか。この店は、常にそういった華やかな話題で彩られていたのだった。
 床から天井近くまである外の様子がよく見える窓ガラスには、手書きのような素朴な文字で店名が描かれている。
 ――こっちからは、反対に見えるんだけどね。
 きっと、そんな冷めたことを考えているのは、私だけなんだろう。
 晴れた土曜の午後。
 おしゃれなカフェ。
 席を埋める幸せそうなカップル。
 よく言えばゆるふわ系の、ぶっちゃけて言えばダブッとした部屋着を着て、量販店で買った398円のつっかけを履いている私は、完全に浮いた存在だ。
「小枝子ぉ。謀(たばか)ったな」
 物騒な台詞にぎょっとして、視線を窓から目の前に座る男へと移す。
 彼――天野は、ご近所に住む幼なじみ兼同級生だ。そして、奴こそ私を(隣家に回覧板を渡し自宅に戻る途中だった私を)、車に乗せてここまで連れてきた張本人なのだ。
 天野の肉のないピタッとした頬は、小学生のころから変わっていない。むしろ、昔の名残はもうそこにしかなかった。 今となっては嘘のようだが、天野は学年で一、ニを争うほどのちびで、おまけに運動神経が抜群によくすばしっこかったため、「モンキー天野」というあだ名で呼ばれていた。
 モンキーのあとに「D(ディ)」でもつけば、若しくはモンキーの前に「ファンキー」と後に「ベイビーズ」でもつけば、奴の人生にも違った展開があったのかなぁ、なんて思う。
 ――違った展開、かぁ。
 起こりえなかった事実から目をそらすように、コーヒーを飲む。砂糖もミルクも入れていないコーヒーは、香ばしくほろ苦い。
 あのころの天野は身軽で、塀から屋根まで、まるで行かれない場所はないかのように、その動きは大胆でしなやかだった。
 お調子者で、率先して一番危険なことや面白いことに手を出しては、同級生の喝さいを浴び、反対に先生や大人たちからは、しかられていた。
 そんな天野の姿を、私は憧れの気持ちで眺めていた。「お姉ちゃん」として、常に三つ下の妹の面倒を見るよう求められた窮屈さが、なにものからも自由な天野を見ることで、慰められたのだ。
 ――懐かしいな。
「……あのね、天野。あんたがなにを指してそう言っているのかわからないけど、『謀る』だなんてその言葉の用い方はどうかと思うよ。それにね、謀るもなにも、私は天野と話すの150年と3カ月ぶりなんだから、そうしようにもできないでしょ」
「なに言ってんだよ、小枝子。150年なんてバカ言うんじゃないよ。昨日だって、会社に行く電車で会って話しただろ、って、おまえなぁ、人と話す時は耳をほじんなっ。――あっ。落ちた。おまえ、いい加減にしろよな」
 天野は、私の指から落ちた体内内容物落下について、文句を言いだした。

 ぎゃーすか、ぴーすか。
 天野は元気だ。
 それは、素晴らしいことだ。

 私は天野のお説教を頭の半分で聞きながら、窓の向こうにいる人たちに思いをはせた。
 街行く人はみな楽しそうに、どこかへ向かって歩いていた。
 ――ううん。「どこか」じゃなくて、「誰か」かもしれない。
 あんなにたくさんの人たちに、会うべき人がいるのかと思うと、驚くと同時に羨ましくなる。
 あの人たちには、あの人たちが来るのを待つ人がいる。
 それは、なんて贅沢で素敵なことなんだろう。
 ふと、虚しくなる。
 あぁ、虚しいな。うん、虚しいよ。
 天野の幼なじみとして、奴の前に座っているの自分が虚しい。

 社会に出て三年――二十五歳を過ぎたあたりから、私たちは幼なじみから一歩踏み出した関係になった。そしてその直後に起きたとある事情から、私は再びもとの関係になる道を選んだ。
 今年、私たちは、二十八歳になった。 
 二十八年の人生で、天野の隣にいられたのは、わずか半年足らず。
 その事実をしっかりと自覚し、そろそろ天野への想いを整理しなくちゃいけないな、とは思っている。その半面、二十年以上も奴を好きだった私に、いまさらそんな真似が出来るのか、といった疑問もあった。
 もし天野に好きな子ができて、結婚することにでもなったら、私はちゃんと幼なじみの顔で祝福できるだろうか。
 自ら手放した違った展開の未練を断ち切り、前に進めるのだろうか。
 
「……だからよぉ」
 口調がお説教トーンから、ぐだぐだトーンに変わる。これは、天野が私に話を聞いて欲しいといった合図だ。つきあいが長いとそういったことにもツーカーで対応できてしまうのが、私の強みでもあり弱みでもある。
「どうしたの。はっきり言いなさいよ」
「だから、つまり、あれだよ」
「その『あれ』を言いなさいよ」
「あぁ、わからないのかよぉ」
 天野が、うーんと頭をかきむしる。その動作に、そばを通った店員さんがびっくりした顔をした。
 あぁ、驚くわよね。当然よ。私は、カフェで一番目立つおバカの連れとして、その店員さんに心の中で謝った。
「だから。俺が言いたかったのは、つまりその……おまえの妹の八重子ちゃんのことだよ。俺、八重子ちゃんとアポ取りたいって言ってただろ」
「あぁ、うん。あんたに頼まれていたよね。でもこのところ八重子も忙しくてさ、つい言いそびれていたんだよね、ごめん。家に帰ったら、天野に連絡するよう伝えるから」
 八重子が忙しいのは、本当だ。人材派遣の営業といった平日の仕事もそうだけど、このところは週末も出掛けることが多くなった。今日だって、私が起きたらもういなかった。
「あぁ、それね。もういいからって言おうとしたんだ。八重子ちゃんは健也(かつや)とつきあってるんだろ。そんな子を連れ出すなんて、気が引けるよ」
 健也も私の幼なじみ兼同級生だ。そういえば、最近八重子が仕事で健也の会社に行くとか行ったとか、聞いたような気がしたが――。
「ちょっと、待って。今、うちの八重子が弓高(ゆみだか)健也とつきあっているって言ったの」
「なんだよ。おまえがお膳立てしたんだろ」
「うぞっ、知らないよ」
「声が大きいよっ。あぁ、すみませんねぇ、連れが煩くて。――で、知らなかったんだ」
 天野が周りの人に頭を下げると、意外そうに訊いてきた。
「はじめて聞いたわ。仕事で関係あるって話は聞いたけど、つきあっているなんて知らない。それ、ガセネタじゃないの。情報は、どこからよ」
 体を前に倒し、声をひそめてそう聞く。
「光石(みついし)から。あいつが見たんだって……その、ホテルで」
 天野が気まずそうな顔をした。
「ホ……」
 ホテルっていうのは、円山界隈のあの建物を指すのだろうか。 
「なんていうか、いろんなもん飛び越しての状況を伝えられて、オネエサンびっくりなんですが」
「俺だってそうだよ。でも、小枝子も知らなかったなら……しかたないなぁ」
 しかたない、なんて言いながらも、天野は残念そうだ。
 でも、これで遠くのカフェまで連れて来られた理由がわかった。壁に耳あり障子に目あり。この話は、近所の喫茶店じゃできない。
 それに情報源があの目ざとい光石なら、間違いないんだろう。
 私と天野と健也と光石の四人は、人生のある時期――就学前から小学生時代を、とことん濃密に過した仲間だった。それこそ朝から晩まで、遊んで遊んで遊び倒した。今思うと、幸せな時間だったと思う。
 私のアルバムには、彼らと撮った写真がたくさんあった。
 天野なんて、屋外で撮る時は必ずといっていいほど階段で撮りたいと言った――否。言い張った。奴は自分と光石だけ階段に上るように言うと、私と健也はそのままでいるよう言った。そして少し目線が低くなった私を、「ちび」なんて呼んだのだ。
 中学、高校と成長するとともに、お互いつきあう仲間は変わったが、昔からの友だちを見間違うようなことはない。光石は、健也と八重子を見たのだろう。
 それに、健也は穏やかで面倒見もよくいい奴だ。文句なんてない。大賛成だ。
 
「そういえば、なんで天野は八重子に会いたかったわけ」
「会いたいっていうか。まぁその、俺の夢っていうか」
「……夢、ですかい」
 思いがけない台詞にたじろぐ。
 夢って、なんだ。
 天野は八重子と出掛けるのが夢だったってことなのか。八重子は、男に夢を見せるほどの女ってことなんだろうか。
「そう、夢。でもさ、健也とつきあっているって聞いたから、声をかけちゃ悪いかなぁと思ってさ。俺の夢は、夢だったってことだよな」
 天野は、大きなため息をついた。天野は、八重子が好きなんだろうか。そんな素振りは、あっただろうか。脳みそフル回転で記憶を辿るけど、思い当たるようなことはない。
「あのさ、そんなに弱気になっちゃだめだよ。とにかく八重子に会いなよ。それで、天野の想いを伝えてさ。嘆くのはそれからでもいいでしょ」
 なんで私がこんなことをすすめなくちゃいけないかなぁ、と悲しくなる。もし、天野の想いを聞いた後も八重子が健也を選んだら、天野を慰める役回りは私に来るんだろうなと思うし、もし八重子が天野を選んだら――選んだら。
 私は、きっと実家にはいられない。家を出て、どこか知らない、天野を思い出さないような街へと行くだろう。自分が好きな男が、妹とつきあうなんて耐えられない。
「うーん。いいのかなぁ。八重子ちゃんは俺の女神さまだってことを伝えれば、納得してもらえるかな」
 女神。もはや、天野の中で八重子は人じゃない。神。 
「あの、天野。ともかくさ、私は今すぐに八重子に連絡するわ」
 といっても、着の身着のまま連行された私は、携帯を持っていなかった。けれど、天野は自分の世界に入っているようで、私の話はあまり聞いていないようだった。 
「俺さ、もっと早く行動していればよかったな。夢を見てすぐにさ」
 ――おや。
「あのさ、夢を見て直ぐにって、それどういう意味よ」 
「だから、八重子ちゃんが俺の夢に出てきたんだよ。で、なぜか二人で歩いているわけ。それで駅前の宝くじ売り場で宝くじを買って」
「あんたの夢って、そっちの、つまり眠って見る夢のこと」
「うん、そうだ。これが凄いんだ。まぁ聞けよ。なんと俺、夢の中で三百万円が当たったんだ。三百万ってところがリアルだろ」
「……リアル。そうかもしれないけど。あんたもしかして、夢の通りに八重子を連れて宝くじを買いに行こうと思った、とか言わないよね」
「言うよ。それが全てだもん」
「宝くじを買うためだけに、あんたは人の家の妹を引っ張り出そうとしたわけ」
「おまえ、三百万だよ。三百円とはわけが違うんだから」   
「当たってもないくじのことを、そう大袈裟に言わないでよ」
 アイタタタ、と天野が言う。
 天野、アホだわ。こんなアホのために一喜一憂した私も、アホだ。もう、なんなの。
「と、いうわけで、残念ながらプラス三百万はないですが、一つこれでよろしくお願いします」
 そう言うと、天野はポケットから通帳を出し、それをまるで将棋の駒を指すようにすっと私の前に置いた。
 戸惑いながら「お金なんか貸してないよ」と言うと、「うん、借りてないよ」と天野は言ったきり、黙ってしまった。
 黙られても、困る。
 決して繊細とは言えない私だけど、だからって目の前に置かれた人の通帳を、ひらひらと開いて眺めるほどに、神経は太くない。
「小枝子、見てよ」
 天野の言葉に、これになんの意味があるんだろうと、しぶしぶと開く。
 通帳は、光石が働いている銀行のものだった。私もそうだからお揃いだ。「ご新規」と印字された日付は、私たちが大学を出て社会人になった年のものだった。
 そのあとは、天野が勤めていた会社からの「給料」と「賞与」の印字が順調にされていた。
 三年を過ぎた頃、振込先にカタカナで、見覚えのある旅行会社の名前があった。その数字を指でなぞる。天野に誘われて、二人で旅行に行った。そのときの代金だ。
 しかし、通帳はその直後に、天野に起きたことを克明に伝えてくる。
 天野が働き出してから三年半後、「給料」の印字がなくなったのだ。
 天野の会社は、本業以外の投資に走り失敗し、社員を雇用できない状態になった。つまり、倒産。預金が減るばかりの通帳を見ていると、あの頃の出来事がまざまざとよみがえり、苦しくなる。

 天野は、職探しに明け暮れた。
 みるみる痩せていく天野を心配するうちに、誰よりも天野の力になりたいと思っている私が、なによりも天野の負担になってしまっていたことに気がついた。
 気がついてしまったものは、しょうがない。
 私は天野からは、「好きだ」とも「つきあおう」とも言われてなかった。
 つきあいが長く、そういったことにもツーカーで対応してしまったことに後悔したときもあったけれど、この場においてはそれが吉と出たのだ。言葉に縛られない私たちは、表面上は簡単にもとの立ち位置に戻れた。
 幼なじみに戻った私は、二人の間にはなにもなかったような顔で――幼なじみの顔で、天野から少し離れた場所で、天野を応援するようになった。
 そして、数か月のブランクのあと、以前の勤務先よりも少ない金額にはなったものの、再び通帳には「給料」の印字がされるようになっていた。そしてそれは、現在も続いていた。

 ただのどこにでもある通帳なんだけど、この一冊には天野のがんばりが記されている。
 苦汁をなめたこともあっただろうし、今だってそうなのかもしれない。
 私は、幼い頃とは違う思いでそんな天野に、天野の強さに憧憬を抱いた。
 最初の会社は、天野が学んだことがいかされた会社だったけれど、今の会社はそうでもないようだ。
 それでも、天野は働いている。
 そして休日でも、ぎゃーすか、ぴーすか煩くて、元気だ。
 それは、素晴らしいことだ。
 それこそ、女神さまに感謝したいくらいだ。
 天野がくじけず、そして生きていること以上に、私は望むことなんてないはずだった。
 
「小枝子、俺と結婚して」
 通帳を閉じた私の耳に、天野のそんな声が聞こえた。
「あっ、今のなし。言い直す。田中小枝子さん、俺と結婚して下さい」
 天野を見る。
「ずっとそう言いたかったけど、俺、自分のことばかりで余裕なくてごめん。小枝子が好きだ。一緒にいたい」
「……遅いよ」
 もう、ダメだと思ってた。
 もう、天野とは繋がっていないって思っていた。  
「大変お待たせしました」
 ぺこりと天野が頭を下げる。
 そして、「待っててくれて、ありがとう」と。
 
 天野から借りたハンカチで涙を拭きながら、揃ってカフェを出た。
「そこ、階段あるから気をつけて」
 大人になって、少し優しくなった天野がそう言った。
 その注意に従い、慎重に階段を下りようとした私に、「ちょっと、そのまま」と天野が言う。
 
 私は、階段の上。
 天野は、階段の下。
 
「ちび」
 階段の上にいる私を天野がそう呼ぶと、昔からは想像もできないくらい大きくなった体で、いきなり私をお姫様だっこしてきた。
「うわ、あ、危ないよ」 
 やっぱりどこかお調子者の天野を頭を、ぺしっと叩く。  
 
 その途端、私の左足のつっかけが、シンデレラの靴のようにポロリと脱げた。            

2011/2/22
2013/6/24 加筆修正 web拍手 by FC2



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